家族のすれ違う心を描く若き天才グザヴィエ・ドラン監督のカンヌ・グランプリ受賞作『たかが世界の終わり』
2009年の監督デビュー作(当時まだ19歳!)『マイ・マザー』が絶賛されて以来、『胸騒ぎの恋人』『わたしはロランス』『トム・アット・ザ・ファーム』と新作を発表するごとにカンヌやベネチア映画祭で評判を呼んで来たグザヴィエ・ドラン監督。14年にカンヌ映画祭審査員特別賞に輝いた『Mommy/マミー』に続いて、昨年のカンヌでもグランプリを受賞した新作が、この『たかが世界の終わり』です。舞台はカナダのケベック州ですが、現代フランスを代表する名優たちが豪華共演しています。



描かれるのは、ある家族の一日。家を12年前に出てから、一度も帰ることがなかったルイ(『ハンニバル・ライジング』のギャスパー・ウリエル)。今は都会で人気作家として活躍している彼が、突然実家を訪ねてきます。実はルイは病気で余命があまり残されてはおらず、自らの“死”を家族に告げようとしていたのです。皆でランチを過ごし、デザートの時に話をしてさっさと帰ろう。彼はそう考えていました。しかし…。



幼い頃に別れた兄をあまり覚えていない妹シュザンヌ(『アデル、ブルーは熱い色』のレア・セドゥ)は有名人の帰宅に大はしゃぎ。母のマルティーヌ(『愛しきは、女/ラ・バランス』のナタリー・バイ)はそんな娘と張り合うかのように、ルイの好物を作ろうと張り切っています。対照的なのは、兄のアントワーヌ(『ドーベルマン』のヴァンサン・カッセル)。浮足立つ二人には素っ気なく、ルイと再会してからも何かと突っかかり家族の団欒に波風を立てていきます。それをハラハラしながら見守るしかないアントワーヌの妻カトリーヌ(『エディット・ピアフ/愛の讃歌』のマリオン・コティヤール)。彼女はルイとは初対面です。



食事が始まるものの、繰り返されるのは意味のない会話。ルイ以外の皆はそれぞれが自分勝手な発言をするばかりで、寡黙なルイはそれに相槌を打つだけで肝心なことを言い出すことができません。そんな状態で時は過ぎ…。



もともとが舞台劇ということもあって、ダイナミックな展開などのない静的な映画。描かれるのは、ドランが追い続けてきたテーマ「愛する人との心のすれ違い」です。家族は互いのことを愛し、想い合っているのに、うまくコミュニケーションがとれないでいます。沈黙を怖れるかのように次々と紡ぎ出される言葉は、果てしなく空回り。相手の胸に響くことはなく、さらに相手を思って発した言葉が逆にいらつかせてしまうことも…。



そんな“言葉の無力感”を際立たせるのが主人公ルイに扮したウリエルの演技です。なんと、主役なのに彼のセリフは極端に少ないのです。そんな中で、迫りくる死への恐怖、とまどい、湧き上がる想い、初恋への郷愁(ルイはゲイという設定で、実家で隣家の少年ピエールに出会ったことで自分自身に目覚めたのです)などの微妙な心の揺れを表情の変化だけで表現。これはクローズアップが可能な映画ならではの演出ですね。何も言葉を発していないのに、ルイの心の中が見えてくるような気がするのは、彼の演技力のたまものだと思います。



オールスターキャストゆえに、とても同じ血をひく家族に見えないとか、あの派手なマリオン・コティヤールが人と話をすることの苦手な地味な主婦というのは似合っているのか? などの部分には賛否もあるでしょうが、それぞれが芸達者なのでキャラクターの個性を際立て、動きのない映画であるにもかかわらず、最後まで緊張感は持続しています。



自分たちの感情を制御できない家族よりも、ルイの気持ちを理解できたのは血のつながりのない兄嫁だけだったという皮肉な展開には、家族って何? と考えさせられる映画。これが愛のない家族を描いた作品ではなく、ちゃんと互いに愛情を持っている家族であるがゆえに、そのすれ違っていくさまが胸にぐさりと刺さるのです。それにしてもグザヴィエ・ドラン監督、現在まだ27歳。これだけの深みのある作品を作り上げた彼は、今後どこに向かうのでしょうか。興味はつきません。
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